時計というのはつくづく、奥が深い世界だな、と思う。
私たちの生活の中で、世代を超えて使い続けられる道具があるだろうか。
車だって古い車はあるが、当然ながら故障もすれば劣化もする。部品もなくなるし、何より維持費が大変だ。30年も乗り続けることができたら、立派な年代物だろう。
パソコンやスマホにしても、こんなものは10年もたてば子供のオモチャだ。まったくその時代では使い物にならないだろう。
意外と長く使い続けられるものは、職人さんの先祖代々使い続けられてきた道具なんかだろうか。やはりアナログで体になじみ、ぬくもりがあるものが意外といいのかもしれない、
時計という道具も不思議だ。あんな小さなケースに、100個以上の微細な部品がひしめいて、規則正しく動き続ける。金属だから、摩耗もすれば油切れも起こすし、故障すれば直さなければいけないが、車に比べたらコスパはいいかもしれない。
それにそれなりのいい時計なら、メーカーのサポートはある程度あるものだし、ロレックスなどは世界一サポート体制がしっかりしていると聞く。パチ物でなければ、日ロレに持ち込めば30年は修理してもらえるということだし、パテックやランゲの雲上も、やはりあの美しさは目を見張るものがある。あんな時計を一生に一度でいいから持ってみたいと思うけれど、生活を守ることに精いっぱいな私には目の保養、となる。
クォーツショックと有名なクォーツ時計は、その名の通り水晶(quartz)振動子に電圧をかけ、規則正しく振動するのをパルス変換して1秒を刻んでいる。ステップ運針というのは変換された動きでもある。
対して機械式時計はゼンマイとテンプと呼ばれる振り子の周期によって時を刻む。一般的に5振動、6振動のものをロービート、8振動から10振動あたりをハイビートと呼ぶ。
昔の懐中時計は5振動のものが多い。6振動はベーシックなもの。最近はやりの中華ムーブはこのあたり。6振動はゼンマイのトルクもそれほど高くなく、また一度ゼンマイをまくとほどけるまで時間がかかるので、使い勝手も良い。
ハイビートモデルは大変だ。ゼンマイも細く、強くしなければならないし、精度調整も困難。部品の摩耗も早い。だが、ゼニスのエルプリメロをみると、ほどんど流れるようなスイープ運針とガンギの音、美しいムーブなど惚れ惚れする。
余談だがハイビートのもののほうが精度は良いと言われるが、最近はそんなこともない気がする。メーカーやムーブの作り、調整でその辺はいくらでも変動する。これもコンピュータを使わないからそれぞれの個性が如実に出る。
昔、何かの番組でスイスの独立時計師のドキュメントをやっていた。それこそアントワーヌプレジウソやフィリップデュフォーという人たちが、部品から削りだして何年もかけて一から時計を作る。わずか0.5mmのような部品をキズミというルーペを使って見ながら削ってゆく。もし失敗すればやり直しだ。緊張の連続。彼らは顔が動かないように作業台を口で噛んで顔を固定し、呼吸すら止めて作業する。機械でやれば正確で早いのはわかっているが、それをやらない。
完成した時計たちはおそらく、時計を大切にしてくれないところには行かない。子供、孫まで受け継がれて、未来のユーザーは名前も知らない歴史上の人物として、今から100年後にその職人を知ることになるのだろうか。
おそらく職人たちはそんな未来を見てみたくて、時計作りに心血を注いでいるのかもしれない。