それなりに長く生きていれば、不思議なことの一つや二つ、出くわすものである。
例えば、昨年母が他界した際は、既にアルツハイマー病末期で、私のことはとうにわからなくなっており、長いこと施設に入っていた。
これまで何度か肺炎などを起こして危険な状態になったのだが、そのたびに持ちこたえていた。
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そして昨年夏、施設から、同じような状態になったと連絡を受けた。
私の住む街は福井、母は東京である。
そうそう行ける距離でもなく、何かの折に顔を見せることくらいしかできないでいた。だが何がそうさせたのか未だにわからないが、今回は急遽新幹線のチケットを取って東京へと向かったのだった。
日曜日の昼過ぎに連絡を受けて急いで身支度をし、電車に乗れたのは16時頃。東京についた頃には夜になっていた。
面会時間を過ぎていたが、無理を言って施設に入れてもらって、呼吸の浅くなった母の手をさすった。
私が何を言ったか、あまり覚えていない。おそらく「もう大丈夫だよ」というような言葉をかけたと思う。
しばらくそこで母の様子を見ていたが、面会時間を過ぎていたこともあり、あまり長居もできないので、一旦ホテルに引き上げることにした。
そしてホテルで一息つくかつかないかという時に、ケータイが鳴った。
母は静かに息を引き取った。
虫の知らせ、ということをよく耳にするが、本当にあるのだと実感できた出来事だった。
そして、いくら認知症になり記憶がなくなろうが、魂はきっと覚えているのだとリアルに感じ、不思議でもあった。
もし仮に、今同じように自分の両親が認知症を患い、肉親に対し、子どもたちに対し、他人に冷たく当たるような態度で当たるようになってしまったご両親がいるご家庭があったら、是非覚えていて欲しい。
魂まで病気で消すことは出来ないということ。脳の記憶はなくとも、心の記憶は消えないということ。
「記憶がない」というのは、それは単に記憶を司る組織が病に冒されているだけ。だから「自分のことを忘れてしまった」と落胆する必要はないということ。
そして子供にとっても、両親が元気な頃の記憶は、そのまま思い出に生き続けるということ。
望みはどこかに必ず、ある。