古いアルバムに挟んである、あの頃のこと

昨日、部屋の片付けをしていたら、古いアルバムが出てきました。

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それは私が生まれた頃に、両親が作ったアルバムでした。

まったく違うことをしようとして、不意にアルバムを発見したり、昔の新聞紙を発見したりして、見入ってしまう。

そんな感じの午後でした。

40年前の思い

私も40歳ですから、このアルバムが作られたのは40年前です。

私の家は決して裕福な家ではありませんでしたが、両親がいて、おじいちゃんおばあちゃんがいて、ご近所さんは仲良く、ひもじいとか、貧乏だとか、子供心に感じたことが全くありません。

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家計は決して楽なものではなかったはずですが、そんなことは感じさせないほど、きっと私は周りからの愛情を感じていたのでしょう。

 

写真も何枚かあります。

高価なカメラではありません。私の記憶では、ポケットフィルムが入る、小さなカメラだったと思います。

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そんなカメラで写した昔の写真は、写りは決してよくないけれど、何故か温もりがあります。

体の弱かった私

アルバムには、母が書いた私の看病日記があります。

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子供の頃の私は、とても体が弱く、40度の熱を出して引きつけを起こして救急病院に父親がオンボロのライトバンで運び込んだこともありました。

そんな中の一節です。

「S50,10,5 夜12時に授乳したのに、3時ごろまた泣き出した。抱き上げてみると、ひどい熱なので、びっくりして、パパを起こし、熱を計ってみると38度5分もあった。夜中のこととて、医者にも連れて行けず、朝を待つことにしたが、生憎今日は日曜日なので困ってしまった。熱のためか元気が無く、濡れたタオルを頭の下に敷いてやると、そのまま10時半頃まで眠った。幸い青木先生(近所の医院)に見てもらうことができたが、風邪から気管支炎を起こしているとのことであった。少し前から喉が苦しそうなのに気づいていたが、本当に可哀想なことをしてしまった。今日は台風13号の影響で風雨が激しく、暗い一日だったが、薬を飲んでよく眠り、夕方にはだいぶ熱も下がったのでホッとした。育児の難しさを痛感した。早く健康になってほしい。」

確かなもの

昭和50年の夏。言葉も喋ることのできない小さな私は、こんなふうに守られていました。

風邪をひいた時も、階段から転落した時も、肺炎になり入院した時も。

この世の中に確かなものなどほとんどないのかもしれないけれど、私が受けた愛情はそんな数少ない確かなものなのだと、私は今更ながらに実感しています。

 

私が生まれた40年前は、今ほど便利な世の中ではなかったでしょう。

コンビニなどなく、薬を買おうにも、街の薬局はありましたが、今のようにドラッグストアでなんでも買える時代ではなかったはず。夏の盛り、エアコンもない部屋で団扇で扇ぎながら涼をとって私を寝かしつけたのでしょう。

両親は大変な苦労をしながら子育てをしていました。

 

時折、ヒステリックにお母さんが街中で子供にイライラをぶつけている姿を目にします。

子育てというのは大変なことです。

そうなりたい気持ちはわかります。

 

でもね、私は思う。

子供にかけた愛情は、必ずその子の将来を明るくし、周りの人を幸せにしてくれると。

だから、子供が親の言うことを聞かないと思った時は、一生懸命に愛情を持って接して欲しい。

子供は必ず、親の愛情を心や体で感じで、まっすぐに育っていくと思います。

 

そして、私はそんなふうに育ててくれた母を一昨年、アルツハイマーの病で亡くしました。

でも、母はきっと幸せだったと思います。

母は、遠く福井にいた私を、虫の知らせなのか、東京の施設の一室に呼び寄せました。

私は母の手を握り、2時間後に母は息を引き取った。

それは辛かったけれど、昔の元気な頃の母の笑顔が、私の心の中に一生生き続けていきます。

さいごに。

もう一文だけ、アルバムの中の一文を引用します。

 

「体が弱くても、決してくじけない、意欲的な青年に育つように祈る」

 

母より。

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